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東大寺領横江荘遺跡荘家跡 無駄に名前が長くてイライラするけど遊びに来てネ♪
2020年06月17日

高速道路白山インターのすぐそば、工業団地の中に唐突に意味不明な広場があります。
何?ココ何?みたいな謎の空き地。
それが今回紹介する東大寺領横江荘遺跡荘家跡(とうだいじりょう よこえのしょういせき そうけあと)です。
まずいきなり文句言わしてもらいます。
名前長いわいっ!!!(←笑)

そんな1000回唱えんと覚えられんくらい名前の長い東大寺領横江荘遺跡荘家跡(とうだいじりょう よこえのしょういせき そうけあと)ですが、何かと言うと奈良~平安時代の建物の痕跡です。
一度に説明するとややこしくて仕方ないので、分解して説明していきます。
まずは「横江荘遺跡」からです。
かつて奈良時代、この辺り一帯は荘園だったそうです。
荘園って分かりますかね?
昔学校でなんとな~く習った記憶あるでしょ?
要は貴族の土地ですね。
荘園内の収穫物はすべてそこを所有する貴族のものとなり、それがそのまま貴族の財源となったのです。
その荘園の名前が「横江荘」で、その遺跡だから「横江荘遺跡」なんですね。

次は「荘家」。
これは何かというと、荘園を管理する一連の建物群です。
ちょっとそのものズバリではないですが、今でいう役所みたいなイメージと捉えてもらってもいいかと思います。
そんな建物がかつてここにあったんですね。
その目印となるのが、これらの地面に打たれているコンクリです。
この場所に柱が建ってた痕跡があるんですね。
この柱跡を繋げることで、当時の建物の規模や形が明らかになるのです。

最後に「東大寺領」。
東大寺ってあの大仏さんのある奈良の東大寺?って思うでしょうが、はい、その東大寺です。
この辺一帯にあった「横江荘」は、どうも東大寺が所有してたらしいんですね。
と言っても東大寺の人たちが奈良からはるばるやって来て直接開発したという事ではなく、ここを所有していた領主が寄付したんだそうです。
いわゆる「寄進」ってヤツですね。
この言葉も昔学校で習ったでしょ?
さ、これで全部繋がりました。
全部合わせると、東大寺領横江荘遺跡荘家跡(とうだいじりょう よこえのしょういせき そうけあと)とは、『東大寺の所有した』『横江荘という荘園』にあった『荘家』の痕跡、という事になります。
あー面倒臭っ!
ところでそろそろ覚えましたかね、東大寺領横江荘遺跡荘家跡(とうだいじりょう よこえのしょういせき そうけあと)?
そろそろフリガナやめますよ(笑)。

さてこの荘家跡、発掘により5棟の建物があったことが確認されています。
上空から見るとこんな感じ。
中央に最も大きな建物。
これは恐らく住居跡と考えられています。
その左に1棟、右に3棟。
これらは多分倉庫。
道具を収納したり、あるいは収穫した作物を保管したり、そんな用途で使われていたのでしょう。
さらに中央建物周辺には雨落溝も見付かっています。
って事はここのラインまで屋根のひさしが張り出していたんでしょうね。
そこからポタポタ落ちる水をこの溝で受けて排水したのでしょう。

それをイメージイラストにしたのがこちら。
あくまで想像ではありますが、こんな感じの建物が存在していたと考えられています。
時代は奈良・平安時代、それもここは地方のド田舎ですからね。
そんな場所にこの規模の建物があったのは、それだけで相当なインパクトだった事でしょう。
ある意味、建物自体が権力の象徴だったかもしれませんね。

奈良・平安の痕跡を今に伝える東大寺領横江荘遺跡荘家跡(←フリガナなくて大丈夫?)。
現場の建物は復元されておらず、完全に脳内想像力だけで当時の状況を思い浮かべるしかありませんが。
でもここに昔人が住んでて、今の人と何ら変わらない悲喜こもごもの人生を送ってたんだろうな~なんて考えると、ちょびっとだけ古代ロマンの片鱗に触れられたような不思議な気分が味わえます。
どうかそんな空気感を思いっ切り楽しんでみてください。