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鳥越城跡
2019年01月22日

一向一揆。
聞いたことない人はいないはず。
学生の頃、歴史の授業で必ず習う用語です。
宗教集団である一向宗徒が、その地の支配者に集団で暴動を起こすってヤツですね。
中でもここ加賀で起こった事例は特異で。
一揆によって守護大名であった富樫政親(とがしまさちか)が打ち倒され、その後100年にも渡る自治国家が誕生したのです。
が、やがてこの自治国家にも終焉が訪れます。
戦国の覇者織田信長の登場です。
1580年、信長の配下である佐久間盛政(さくまもりまさ)が加賀一向勢力の総本山ともいえる尾山御坊(現在の金沢城)を陥落。
これにより事実上、加賀は信長の手に落ちます。
しかしその後も一向勢力は信長に対し根強く抵抗。
そしてその最後の舞台となったのが、ここ鳥越なのです。
当時鳥越を治めていたのは鈴木出羽守という人物。
迫り来る信長の勢力に備え、緊急に防備を固める必要がありました。
そこで元々あった二曲城(ふとげじょう)に加えて鳥越城を建造し、二つの城による迎撃体制を作り上げたのです。
そして始まるべくして戦闘は始まりました。
相手は信長配下の柴田勝家。
猛将として名の知られた勝家でしたが、地の利を生かした城の守りは堅く、どうしても破ることができません。
そこで城攻めを諦め、和睦を持ち掛けます。
ところがこれは罠。
松任城に出向いた鈴木一族は、勝家の手によりことごとく惨殺され。
大将を失った一揆勢はもろくも瓦解し、ほどなく落城の憂き目に遭うのです。
その後も一揆勢と信長配下との戦闘は2度3度と続き。
城も取ったり取られたりを繰り返します。
ダラダラと決着のつかない状況に業を煮やした信長は、佐久間盛政を派遣。
徹底した殲滅作戦を展開し、300人もの人間を磔にするという凄惨な最後でその幕を閉じるのです。
戦禍の爪痕は凄まじく、その後数年もの間、あたり一帯からは人影が消えてしまったと言われています。
そんな血なまぐさい歴史を持つ鳥越城。
今はもう建物はなく、残るのは遺構のみ。
とは言え発掘・整備が進んでおり、一部復元も行われているので、かなり実態がつかみやすくなっています。
見所は何と言っても復元された枡形門と本丸門。
荒々しい門構えは実に力強く、かつてこの地にそびえた巨大な戦闘要塞の片鱗がうかがえます。
さらにその先にはサッカーコートほどの広さの本丸跡。
すでに詳細な調査が行われており、発掘跡にそれぞれ分かりやすい案内板が付けられています。
井戸跡や展望台跡などの痕跡が整然と並び、狭い空間を実に機能的に使っていたのがよく分かります。
また山頂なので大変見晴らしがよく、天気のいい日ならかなり向こうの方まで見渡せます。
ふもとには一向一揆歴史館という施設もあります。
鳥越で繰り広げられた戦闘の経緯や、全国で発生した一向一揆の記録などがざっと見られますので、時間があればぜひ立ち寄ってみてください。
さらに時間がある人は二曲城跡にも足を向けてみてください。
こちらは鳥越城と違って道があまり整備されてないのでモロに山登りになりますが、城好きなら十分楽しめるはず。
鳥越城と双璧をなすお城ですので、両者を比較しながら見学すると楽しいですよ。
鳥越城跡
住所:石川県白山市三坂町